The following takes place between 6a.m.and 11a.m.

友達と冷やかしで靖国神社に行ってみる。
九段下駅周辺は多くの警察関係の大型車、装甲車、盾を持った警察官など、きな臭かった。
喪服、スキンヘッド、特攻服、取材陣…その他想像出来そうなのが結構いた。
フジテレビの取材をシカトし、堂の前を素通りし、参拝せずそのまま遊就館へ。
しかし、遊就館は9時からでその時はまだ7時だったので入れず。
やること無いので、一人帰り、残り2人となって高校の世界史の先生に国際情勢や日本外交などを聞きに行ってみる。
残念ながら世界史の先生はいなかったが、政経の先生がいて、靖国問題、国際情勢、日本外交、各政党の特色、憲法論議など話し合い、時間が大分経ち、下校。
「原爆投下について」 わが恩師、Kによる。
1945年7月26日、もはや敗戦は時間の問題となった日本に無条件降伏を勧告するポツダム宣言が突きつけられた。日本の首脳部がこれを即座に受諾し、この7月末の時点で降伏していたならば、広島(8月6日)・長崎(8月9日)の悲劇はなかった。しかし、彼らが当時気にかけていたのは「国体の護持」つまり「天皇制の存続」であった。これが保証されていれば即座に受諾した可能性が高かったといわれる。だが、同宣言には天皇制に関しては明記されていなかった。結局、日本政府が躊躇する間に原爆は投下された。ところで。実は、同宣言は、その原案の段階では「天皇制の存続は保証する。だから早く降伏せよ」という内容だった(第12条)。ところが、最終的にはこの部分は削除されていた。削除に反対した陸軍長官スティムソンらの「天皇制さえ保証してやればすぐに日本は降伏するはずだから」との主張を退けて。
なぜ削除されたのか。その中心にいたとされる国務長官バーンズの真意について、考えられるのは次の点。1・天皇制の存続など論外とする世論を考慮した。(実際、当時の米国世論の多くは、天皇ヒトラームッソリーニと並ぶ戦争犯罪人と考えており、その七割が「処罰すべき」、特にその三割は「処刑せよ」という厳しいものだった。)2・日本が即座には受け入れられないような内容にすることで終結を遅らせ、原爆を投下するまでの時間稼ぎをした。(原爆実験の成功は7月16日。実戦配備に要する時間を考えれば7月中に日本が降伏しては困る。原爆を投下するまで日本を降伏させるなという意味において。)
現在、アメリカ人の大部分は「戦争の早期終結のため原爆は仕方なかった」。また「降伏勧告を日本が受諾しなかったからやむをえず投下した」と考えている。荒井信一氏は、その著『原爆投下への道』(東大出版会)の中で、トルーマン大統領は、ポツダム宣言を発する前日25日、すでに原爆投下の最終指令を発していた。また、ポツダム宣言の内容について、日本側は受諾しないであろうという確信を持っていた、と指摘する。だとすれば議論の前提は変わる。トルーマン政権が、とにかく開発したばかりの原爆を使うことを前提としていたとすれば、その目的は何か。一つは、人体実験。もう一つは、戦後体制構築に向けてのデモンストレーション。特に対ソ戦略上重要な脅しのカードということである。ただ、アメリカ政府高官にも、人道上の見地から原爆使用には反対していた人物が数多くいたことは、付記しておこう。
ちなみに、明日のインターナショナルSはエレクトロキューショニストが1人気らしい。
個人的にはロブロイは勝てる気がしない。
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