遁世的生活からの一瞬の解脱

昨日は久々に人と触れ合いました。

普段の日常が、たった一人の戦争なのでいい刺激になりました。


朝7時起床。

歯を磨き、迷彩の服を着て九段下へ。

『心ならずも、赤紙一枚で命を落とした英霊達を鎮めるため』という言葉により靖国に参りました。

実際は『純ちゃん来るらしいよ』という後の一文のほうが大きかったかもしれません。

8時前に到着したため、純ちゃんは発見できず。

その後1時間ほど待って、寝坊した奴も加えて、高校のクラスの奴らと遊就館を見てきました。

そこで噂の『やすくに大百科』を手に入れました。タダでした。

一部を紹介します。

『戦争は本当に悲しい出来事ですが、
日本の独立をしっかりと守り、
平和な国として、
まわりのアジアの国々と共に栄えていくためには、
戦わなければならなかったのです。』


まあ、日米戦争はしょうがなかったかもしれませんが、日中戦争は明らかに侵略ですよ。


一面だけの事実に基づいて判断しようとする危険さを示してくれるいい証拠です。

本堂→遊就館という順番で見て靖国は出ました。

参拝はしませんでした。

A級戦犯がいますし、神道でもありませんし。

東京裁判はいんちきだ、A級戦犯天皇の身代わりになっただけだ、という意見もありますが、現実に日本はサンフランシスコ講和を受諾しているため、やはりA級戦犯が責任を負わなければならない、ということを認識すべきでしょう。

いや、独立するためには受諾するしかなかった、という意見もあります。

ならば独立後、日本が日本人の手であの戦争を総括すれはいいことでしょう。

そういうことを放っておいて、東京裁判いんちき論をされてもあきれてものも言えません。

このままいくならA級戦犯を認めるか、嫌なら本当に総括すべきです。

話がそれました。

靖国→馬場というコースになり、ビルディで食事。

ここで、高校の社会の先生に、戦争や、靖国に対してどういう考えを持っているのか聞いてみようということになり、高校へ。

しかし、あいにく中高一貫の工事のため、社会科の先生はいましたが、忙しいらしく、また次回、ということに。

6時半から高校の部活の集まりがあるため、時間を持てあましていたんですが、高校のすぐ裏に、IPAの本部があったのを思い出し、見学しに行きました。

グリーンコートというところの16階でした。

建物はきれいで、事務所の中は各ブースごとに区切られていました。

情報処理技術者試験のチラシなどをもらい出ました。

まだ時間があったので、近くにある、景勝地六義園を見てきました。

高校のときは「時間があったら見てみようかな」と思っていましたが、とうとう見ずじまいだったので、ちょうどよかったです。

六義園の中は本当に素晴らしい。

町の中に突如現れたオアシスといったところでしょうか。

緑いっぱいの巨大庭園という感じでした。

まだ、時間があったので、駅前のゲーセンに行き、少し経ってクラスの奴と分かれました。


部活の集まりは、6時半高田馬場でした。

6時前に馬場についたんで、LEC高田馬場校の自習室を使わせてもらい時間を有意義に使いました。

6時半に改札前にいくとすでに皆がいました。

1年ぶりくらいにあってみると皆多少変わったりしていました。

しかし、根本のところは変わっていませんでした。

7時から飲み会が始まりました。

場所は駅前の『だるま』でした。

だるまはスポーツ系サークルのたまり場なので、周りがコールをかけまくるのでうざい。

でもまあ、今どんなことしてるのかとか色々話が聞けてよかったです。

飲み会のあとは、BIGBOXのボーリング場に行きボーリングでした。

実に中3以来のボーリングでした。

1ゲーム目は50とかいうスコアでしたが、2ゲーム目は慣れてきて100までいきました。

最後はやはり巣鴨に行きつき、歌広に行き、翌朝の5時まで歌い続けました。

途中で僕はバイトもしてないので金が付きました。

彼らは快くおごってくれました。

あいつらいい奴らでした。

僕は、出世払いで返してやるよ、啖呵を切りました。


だから、これから勉強します。