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社長は東大経済学部の三年生の97年、経営戦略のゼミに入った。
ゼミではインテル VS AMDやマイクロソフトVSアップルなどのIT系ケーススタディを数多くやった。
これにより、IT業界や経営そのものに関心を持つようになった。
また、アマゾンドットコムのジェフ・ベゾス氏のインタビュー記事などを読み、ネットビジネスを検討し始める。
そして、バイト先の上司が困ったいるのを知り、求人サイトがネットとの親和性が高いのではないか、と思い始める。
大量の情報を瞬時に検索できるというコンピュータの特性や紙を刷るコストがかからない、リアルタイムで掲載中止、変更を行える(新鮮度が高い)というのが決め手だった。
8月中旬に決意し、9月にPCを購入(それまではPCすら持っていなかった)、10月にサイトを構築、11月にオープンというもの凄い速さだった。
最初は営業に行っても2〜3割の会社しか求人を載せてはくれなかった。
しかし、98年3月のビックコミックスピリッツのコラムにサイトのことを掲載させてもらった。
これをサイバーエージェントやオンザエッジの人が見ていたため、上手くいくようになった。
そのころは茗荷谷に住んでいた。
99年6月〜00年4月まではネットエイジ社の間借りだった。
ミクシー開始の経緯は、03年10月にエンジニアが提案し、留学生の間で、米国でSNSが流行っているのを聞き実際に使ってみた。
使ってすぐ、次世代のコミュニケーションインフラになる可能性を直感。
悪い点も見出した…一回繋がりができるともうそれ以上やることがない
そう、米国のSNSは現実の人間関係の再構築にすぎなかったのだ。
SNSで樹形図のように人を増やして終わり。
そこで社長はコミュニケーション機能が必要だということに気付いた。
足跡や日記、コミュニティ機能だ。
質問で、なぜグリーが速かったのにミクシーが勝ったのか、というのがあった。
社長は、
「コミュニケーション機能だと思います」
とのこと。
グリーは米国SNSをそのまま持ってきた感じだったのだ。
しかし、ミクシーはそれを日本的にアレンジして成功した。
コミュニケーション機能があると、
「日記やコミュニティにコメントを書き込み、ログアウトする。そして次に見てみたときは、その返信がある。毎回ログインする度に変化がある。だから面白い。人間の最大の欲求はコミュニケーションなんです。コミュニケーションの欲求は永遠になくならないんです。」
ということだった。
なぜ、イーベイが日本に根付かなかったか、というのを元AOLの現ヤフーの大蘿淳司マーケティング本部長に聞いたのを思い出した。
「イーベイが日本に根付かなかったのは、アメリカのをそのまま日本に持ってきたからです」
ということだった。
さらに、ヤフージャパンが大成功したのは、アメリカのヤフーをそのまま持ってきたのではなく、ヤフーの「のれん」だけもらい、日本流にアレンジし、ジョイベンだったから成功したというのだ。
ミクシーもそれに通じていると思った。
最後に笠原社長のお気に入りの言葉をで締めたいと思う。
「インターネットにある大きな機会はすべて利用し尽くされた、と誰もが考えた時に、そもそもルール自体を変えてしまう企業が登場する」
ティム・クーグル