親しき仲にはあだ名あり

「つだっく」と呼ばれると妙に懐かしく感じる。

最近特に。

高校に入って以来、めっきり言われなくなったからだ。

中学までは、毎日のように言われていた。

生徒はおろか、生徒が呼ぶのを聞いていた教師までも言うようになった。

呼び名一つで感情は変わる。

俺は、人の呼び名を呼ぶとき、非常に悩む性格のようだ。

かつて、仲がよかった友達がいた。

その友達に対して俺は苗字で呼んでいた。

ある時、気がついたらまわりのともだちは彼に対して、あだ名で呼んでいた。

俺もそれを聞いてからというもの、そのあだ名で呼んでみたくなった。

そしてある日、彼に対してあだ名で呼んでみることにした。

速攻で拒絶された。

そして今まで通りの名称で呼ぶように言われた。

ショックだった。

なぜ自分だけ?

どうして?

色々疑問に思ったが、聞くことができなかった。

それすらも拒絶されたら、もっとショックを受けると思ったからだ。

それ以来も彼とは通常の付き合いは変わらなかった。

しかし、それ以来、他人に対してどのように呼称するかは必要以上に考えるようになった。

家族に対しても、さえ。

家族にたいして、どのように呼べばいいのだろう?

成長するにつれて、もはやかつて呼んでいた、「お姉ちゃん」「お父さん」「お母さん」という呼称は使わなくなった。

しかし、「姉貴」「親父」「お袋」というのはなんか使いたくない。

ゆえに、呼ばなくなった。

「あんた」「お前」などというようになった。

これも拒絶されることの逃避なのかもしれない。

真正面からぶつかるべきなのだろうか?

否。

断じて否。

いままでこれで良好な関係を保っていたのだからこのままでいいのだろう。

皮肉なことに、最初の彼がこの「つだっく」と名づけてくれたのだった。

こういう微妙な立ち位置で自分の周辺が回っていることに面白さを感じる。