帰ってきた王妃

学校の授業で、南京大虐殺をやった。
かつてこのブログでも議論になったが、一応の結論になるのではないか。

授業では、終わりに出席を兼ねた質問カードなるものがあるため、ネット世代の僕達が当然疑問に思うことを書いた人が多かったらしい。

「前回、南京大虐殺はなかったのではないか?という質問を多数受けたので回答します。」

と回答してくれた。

南京虐殺とは、4つの見解がある。

1、中国主張の30万人説
2、15万〜説
3、1〜2万説
4、なかった説

少なくとも、4、なかった説はあり得ない。
というのは、日本の資料からそれがわかる部分があり、日本政府も認めているからだと。
ソースがあまりにもはっきりしているため、学者間では4の説では異端とされている。」
で、
「少なくとも1〜2万の捕虜の殺害はあり、日本の資料にもあり、日本政府も認めている」
と言った。
こういうのを読めば詳しくわかるらしい。
参考文献
川島真、服部龍二編『東アジア国際政治史』名古屋大学出版会
劉傑、三谷博、揚大慶『国境を超える歴史認識:日中対話の試み』東京大学出版
衛藤瀋吉『近代東アジア国際関係史』東京大学出版
井上寿一アジア主義を問いなおす』ちくま新書
松本健一竹内好「日本アジア主義」精読』岩波現代文庫
岡本幸治『近代日本のアジア観』ミネルヴァ書房



どっかのサイトでは、南京大虐殺はについて、
<1937(昭和12)年12月13日、南京陥落の翌日から6週間の間に、女・子供を含む南京市民や無抵抗な中国軍兵士(国民党、現台湾政府軍)を含む約30万人が殺害されたとされる事件。その事件後には国際連盟・諸外国から非難を受けたと教科書に掲載されている。東京裁判においては松井石根(まついいわね)元大将が虐殺命令を行ったとされ、絞首刑となっている。>

と書いてあるが、学者間で言われているのは、
<司令塔を失って投降した数万の中国人捕虜を、食糧の欠乏などの理由から一斉に殺害するなどの形で、多くの非武装の中国人の虐殺が起こる。>

ということ。

しかし、非武装の捕虜を殺したのは、確か戦国時代の秦が100万人殺してますな。

生き埋めですよ、生き埋め。
あの時代は、死体がごろごろ転がっていたらしい。