ICHIRO

tudakku2006-04-06

ヤフーが知財検定をやるらしいですね。著作権侵害に歯止めをかけるのが狙いらしいですが、このブログも侵害しまくりです。いつか京都府警に捕まるかもしれません。



情報処理推進機構から願書が届きました。
住所を見ると、なんと、うちの高校の真裏にありました。


うちの高校から今話題の小沢一郎さんが出ています。
彼は岩手県出身ですが高校生の時東京に来たらしいです。
僕の田舎も岩手県
ですのでとても親近感があり、その政策にも共感しているので、かなり好きな政治家です。
今日は、今最もホットな政治家、政界のICHIROこと小沢一郎さんについてです。


田原さんがこう説明しています。
田中角栄さんという総理大臣がいました。その田中角栄さんが自分の後継者として最も信頼した人が、小沢一郎さんです。
 田中さんの田中派は、自民党の中で最大の派閥でした。しかし、田中さん自身がロッキード事件で逮捕された後、ずば抜けた最大派閥でありながら、総理大臣を出しませんでした。田中さんの方針によってです。自分たちの派閥から総理総裁を出さない代わりに、ほかの派閥から出た総理総裁を陰でコントロールしていまた。だから田中さんは、メディアから「闇将軍」と言われていました。
 そこで、小沢さんです。小沢さんは、これじゃだめだと。やっぱりちゃんと自分たちの派閥から総理大臣を出さなければいけない、ということで、なんとその当時絶大な力を持っていた田中さんにあえて抵抗して、田中派を割って出た。割って出て「創政会」という派閥をつくった。小沢さんが創政会、のちの「経世会」のトップにつけたのが、竹下登さんです。それで、竹下総理大臣が生まれます。
 しかし今度は、竹下さんが、リクルート事件があって退陣した後、田中さんと同じことをやった。そこで、政治改革という風潮が起きました。政治改革を最初に唱えたのが、小沢さんです。小沢さんは、政治改革をしないと日本はダメになる、と。
 竹下派もまた、最大の派閥でした。小沢さんや羽田孜さんたちは、今度は竹下派を割って出た。しかも、割って出たのは派閥だけではなくて、自民党から割って出ました。
 小沢さんたちは自民党を割って出て、新生党という政党をつくった。そして、公明党社会党日本新党新党さきがけなどと組んで、非自民連立政権、細川護煕政権をつくった。じつは、細川政権をつくって実際に全部仕切ったのが、小沢さんです。
 小沢さんは、最大派閥のボスである田中角栄さんに対して、これじゃダメだと正面から正論を説き、経世会をつくった。そして次は、竹下さんにも志を持って正面からぶつかっていって、こんな自民党じゃダメだと自民党を離党し、40年続いた自民党支配を終わらせた。日本では革命という言葉はあまりいい意味では使いませんが、いってみれば大きな地殻変動を二度起こした。私は、小沢さんはとてもすぐれた政治家だと思います。
 もう一つ。小沢さんは『日本改造計画』という本をお出しになった。このなかで日本を飛行機に例えて次のように問題提起している。二つのエンジンのうちの一つは経済というエンジンで、これはすばらしい。ただし、もう一方の安全保障というエンジン、これはじつにいいかげんで、ないに等しいと。
 なぜないかというと、安全保障というのは論じることすらタブーになっていたからです。当時(1993年)は、安全保障を語るのはタカ派で、軍国主義でどうしようもない人だといわれていたんです。そのときに、これじゃダメだ。日本は、経済と安全保障という二つのエンジンを持った「普通の国」にならなければいけない、と小沢さんは主張された。
 さらにこの本で、小沢さんは、日本人は自分で自立する気持ちがないといっている。自己責任、自分のことは自分で責任を持ってちゃんと立っていなければいけないということを、非常に早い時代におっしゃっていた。今、構造改革といわれていますが、一番早くから改革をすべきだとおっしゃっていたのが、小沢さんなんです。」
小沢一郎氏の政策立案能力というのは、これに肩を並べられる人は日本の政界にはいないと私は思う。小沢氏は抜群の能力を持った政治家だ。
 にもかかわらず、彼は過去何度か失敗している。一つは、1993年に細川連立政権を作った。つまり、非自民党連立政権で、これは55年に自民党が結党して以来、初めて自民党が野党に追い落とされたという、重大な出来事だった。これを仕掛けて実現させたのが小沢一郎氏だったといってよい。ただ、残念ながらこの非自民党連立政権は9ヶ月しかもたなかった。細川護煕内閣で7ヶ月、次の羽田孜内閣が2ヶ月という短命政権だったためだ。この責任は、小沢氏にある。
 というのは、小沢氏が政権運営を強引にやり過ぎたからだ。具体的にいえば、当時の社会党の議員たちにとても無理を強いていたのではないか。もう少し、社会党議員に配慮をしていれば、彼らが連立政権から離脱して、なんと自民党と手を組むなどということはしなかっただろう。何しろ、互いに55年に結党自民党社会党は、以来ずっと敵対関係にあった。その両党が組み、しかも社会党の委員長を自民党が推し、村山富一氏が首相になったのだ。
 これはまさに、政界の裏表を知り尽くしている小沢氏にしては大きなミスだ。本人も、まさか社会党自民党が手を組むことはないだろう、政権復帰のためとはいえ、そこまで自民党もえげつないことはしないだろう、と思った。自社連立など、どう見ても筋が通らない話だ、と小沢氏は考えていた。ところが現実には、自民党社会党が一緒になって政権を奪った。小沢氏にしては、やはりぬかったなというしかない。
 そして今、小沢氏の自由党菅直人氏の民主党が合併して、新しい民主党が発足する。この新民主党は、議員の数では自民党よりも少ない。したがって、もし新民主党が政権をとるとすれば、国民の中にあるブームを起こさなければならない。そして、ブームを起こす力は、小沢一郎氏以外にはない。さあ、小沢氏がもう一度、非自民党政権を作ることができるかどうか。まさに今、その正念場であり、小沢一郎という政治家にとって、これが最後のチャンスだといえる。」



かなり長い文章になりました。ここまで読んでくれた人は、小沢さんの偉業が大体わかったかと思います。
この文章は2003年9月のものですが、最近の情勢を見ても、民主党が政権を奪うには小沢さんしかいないようですね。菅さん、鳩山さんじゃ弱い気がします。
やはり7日の選挙に勝つのは小沢さん以外考えられない!