勉強

昨日はレポートを二つ終えました。





後、例によって『ローマ人の物語』を読みました。

どうやら子供を寝かしつける時ではなく、子供を叱る時、ローマ人はハンニバルの名前を使うようです。

ザマの会戦を読みました。

これに詳しいです。

ザマの戦い - Wikipedia

スキピオハンニバルの戦法を逆に利用して、ローマ軍がカルタゴ軍を完膚なきまでに叩き潰します。

兵数ではカルタゴ軍の方が上でしたが、騎兵で負けていました。

ハンニバルの戦法は騎兵で決まります。

騎兵の機動力が重装歩兵のそれを上回り、敵を取り囲み、敵兵の非戦力化を図り、殲滅させるというやり方でした。

スキピオはかなりの名将でしたが、それはハンニバルが始めたことがあったからです。

この2人にはこういうエピソードがあったそうです。

<ザマの会戦に敗れてオリエントに逃れていたカルタゴの名将ハンニバルと、彼に勝ったローマの武将スキピオは、偶然にもロードス島で再会したのだった。ザマの戦いの前夜に会談したこともあり、その後の講和会議でも主席同士であった2人は、知らない仲ではない。それに、戦闘では敵味方に分かれて闘ったが、2人とも総司令官、戦場の外では互いの才能を認め合う2人の男だ。それで、スキピオは、年長のハンニバルに敬意を表して、言葉遣いもていねいに話しかけた。
「あなたは、われわれの時代で最も優れた武将は誰だとお考えですか?」
ハンニバルは、即座に答えた。
マケドニアの王アレクサンドロス(英語ではアレクサンダー)。小規模の軍勢しか指揮できない身で、大軍を動員したペルシア軍を破っただけでなく、人間の考えうる境界をはるかに越えた地方まで征服した業績は、偉大としか評しようがない」
スキピオは、再びたずねた。
「ならば、二番目に優れた武将は?」
ハンニバルは、今度も迷わず答えた。
「エピロスの王ピュロス。まず、戦術家として一級だ。それに、宿営地建設の重要さを最初に理解した男でもある」
スキピオは、さらに質問をつづけた。
「それならば、三番目に優れた武将は誰とお考えですか?」
カルタゴの名将は、これにも即答した。
「問題なく、このわたし自身」
ザマの会戦を勝利に導いた功績によって、アフリカヌスという尊称をつけて呼ばれるようになっていたスキピオ・アフリカヌスは、これには思わず微笑して言った。
「もしもあなたが、ザマでわたしに勝っていたとしたら?」
ハンニバルは、いかにも当たり前という感じで答えた。
「それならわたしの順位は、ピュロスを越しアレクサンドロスも越して一番目にくる」>
塩野七生ローマ人の物語 ハンニバル戦記』〜

ピュロスもアレクサンダー大王もローマを倒していません。

ローマを倒すということはの難儀さを表しています。



と、いうか早くアウグストゥスまでいかないとテストに間に合わない…