先日は、サマンサタバサジャパンリミテッドの寺田和正社長が来た。

熱40℃出しての講演だった。

自分の母校から頼まれてもしないほど、滅多に講演はしないのだが、主催のGMOの熊谷社長の頼みだから、ということで引き受けたそうだ。




サマンサタバサには4つのキーワードがある。

一つ目は、場所。ブランド価値を高める出店。

二つ目は、人。お客様のために考えて行動する。

三つ目は、商品。日本ならではの高付加価値。

四つ目は、宣伝。海外セレブ、雑誌、テレビ。全ての宣伝を自社でやっている。



中学時代から、会社を作りたい、社長になりたい、と強く思っていた。

「なれたらいいな」という憧れではダメ!

どれだけ強く思えるか。

思いの強さ…親がどう、兄が、姉が…なんて関係ない。

見るもの、聞くもの、会うもの全て会社につなげる。

父は社長だった…「ゴルフできない奴は仕事ができない」→自分もゴルフを練習した。


「ゴルフは高い」「オッサンのスポーツ」と言ってやめる人も多い。

しかし、自分は中3の時やった、打ちっぱなしで→それくらいの覚悟を持て!

見聞きしたことを全て自分に合わせていく。

営業、経理、右腕となる人を友達から考えていた。

「こいつは営業だ。お前は簿記をとれ」など。

中学から「社長になる」と言っていた。

大学受験で失敗した。

挫折した時…一番のチャンス=ピンチがチャンス。

より深く考えられる=自分の目標を再び掲げてリセットする。

一番大事なのは「何になるのか!」


そのためには何をやるのか。

社長になるという目標から細分化。

大学で挫折→チャンスへ。留学→インターナショナルな社長になる。

起業サークルみたいなサークルに入る。旅行の企画など。

カナダへ留学。

毛皮、革ジャンのイージーオーダーで2000万円儲けた。

当時、NOVAなんてなかったから、英会話の先生を日本に送り込む、というビジネスもやった。

しかし、その教師からカナダに電話がかかってくる。

「サミシイ」と。

これ以来、人を扱うのはやめようと思った。

金は貯まったから、会社を作ろうと思った。

その時、自分を客観的に見始めた。

寒気を覚えた。

日本は革ジャンがなかっただけ。

運がよかっただけ、と気付いた。

サラリーマンになった。

就職するにあたって、「3年で会社を辞めよう」「この3年を有効にするためになる会社に入ろう」と思った。

将来、インポートをやりたかったから商社へ。

中堅の商社だった。

そこでは力があれば一年目から海外へ行けた。

この会社で社長になれる人物になろうと思った。

「何をやりたい」という人が少なく、「どこに入るか」という人が多かった。

大手と中堅の給料はボーナスで20〜30万違った。

そのため、大手に行った奴を見て同期は「やってられない」と言った。

寺田「ならお前、よそへ行け。行けなかったんだろ?それか自分でここを選んだかだろ?」

同期の銀行員も「仕事がつまらない」
しかし合コンで「住友です」
この違いを見て、給料に、仕事に、会社にプライドが持てる会社を作ろうと思った。

1、やりがい
2、プライド
3、高い給料
4、信頼
を掲げる。

2年半後、海外勤務決定!

しかし、嬉しくない→これは神様が辞めろ、ということなのか?

みんなは「景気が悪い」という。
そして、自分は駐在を任された。

必ず努力をして、「こうなりたいんだ!」と思ってやっていると神様は肩を叩いてくれる。

それに気付いて、一歩踏み出せるかどうか。

「ダメだ」「やるな」「ムリだ」と言われたが、「やる!」

潮目に気付くかどうか。

起業して、インポートして流行らせることをやっていた時、

「仕事とはなんぞや?」
と思い始めた。

明らかにこいつは悪い奴だな、と思う奴に嫌われると仕事が減る、と思い、仕方なくやっていた。

嫌な奴でも笑顔でやるのが仕事だと若い時思っていた。

しかし、厳しい時に、こいつダメだな、と思う人は皆いなくなる。

人間的に嫌いな人と仕事をやるのではなく、好きな人と好きな仕事をやる。

だから、母校の講演も全て断るが、熊谷正寿が好きだからこの講演を受けた。

好きな人としか何も合わない。

人間的にどうか、という人とは付き合わない。

自分が「こうなるんだ!」と思っていれば、悪い人とは付き合わなくてよい。

嫌な人と付き合っていたのが汚点だった。

理想としている会社…世界で働いている会社。

サマンサは20代で年収1000万もいる。

人生の究極の目標…45歳で辞めたい。子供が欲しい。








という講演だった。