My teacher story

学校から書いているので明日にでも続きは書きます。


担任の教師について。
時として子供は担任から世の中を学びます。

高校の時の担任なんてあってないようなものでした。
小中学校の担任は当りはずれがありました。
中学校は全員はずれました。
小学校は3年の時に当たりました。
2年の時は結構ましだったんですが、あとははずれました。
当りというのはいい先生です。
生徒のことを理解してくれてむやみに怒らない。
はずれの先生は理不尽な先生です。

とにかく怒る。
中学校は最悪ですね。
怒ればいいと思ってるんですよ。

教師の質がものすごく低かったのを覚えています。
小学校でも、1年と、456の先生は理不尽でした。
1年の時は生徒を廊下に立たせる先生で、1時間目に立たせると給食の時間まで平気で立たせる先生でした。
給食の時間は4時間目でした。
先生の機嫌を損ねると給食すら食べさせてもらえませんでした。
そしてほかの生徒が帰っても立たせたままでした。
4年の時は給食をお代わりすると怒られました。
僕や友達はお代わりをしただけで昼休みの遊び時間を遊ばせてもらえませんでした。
あとその先生は、生徒がほかの生徒に「雑魚、雑魚」とか言っていると怒って
「あなたは雑魚っていう言葉が書けるの?書けないならそういうことを言ってはいけません!」
とか言っている始末。
「なんだそりゃ」と思いました。
5年と6年は同じ担任で、最初の時はいい人そうだな、という印象をもつ人でした。
しかし次第に本性を表わしていきました。
極端にひどかったのは階段のところに手すりがあるんですが、自分の担任でもない生徒が座っていても
「手すりはすわるところじゃない!」
と怒ります。
まあ、まだわかります。
しかし
「連絡帳に反省文を書いてきなさい。あなたの親にもです!」
なんだそりゃですよ。
親も反省文を書かされたそうです。
生徒は教師の理不尽から世の中の不条理を学ぶんです。





意味のわからない先生がいる一方、いい先生も当然います。
3年の時の先生はとてもいい先生でした。
日常でも常に穏やかでした。
ある日、僕は校庭で友達と追いかけっこのようなことをしていました。
僕は友達に追われていました。
と、僕は足を引っ掛けて転んでしまいました。
しかしその転んだ先がいけなかった。
切り株でした。
小学校には銀杏木があってよく手入れされていました。
しかし、切り株までは手入れされていませんでした。
よくある、平面の切り株ではありませんでした。
ぎざぎざしていました。
ちょうど僕はその出っ張ったぎざぎざのところにひざから行ってしまいました。
どうなったと思って見てみる前に、変な感じでした。
痛みを感じません。
なんだと思って見ると、血が出ていません。
なんと、白や黄色といった見たこともない体液が出ていました。
しかし、痛みがない。
これを見た友達が「先生呼べ」と先生を呼び先生はすぐに近くの病院につれていってくれました。
医者は「手術です」言いました。
偶然にもその病院で友達の姉が胃の検査を行っていました。
胃カメラを入れられていました。
「ギャー」
とか
「ウワー」
とか断末魔の叫びというか阿鼻叫喚のようなものが聞こえてきました。
僕は不安になりました。
そしてそれが終わると僕の手術が始まりました。
局部麻酔でした。
意識がはっきりしてました。
ベットに横たわり腰から下が見えないようになってました。
僕は目を閉じました。
そしたらベットの横に人が来て僕の右手を握ってくれました。
先生でした。
両手で僕の手を握って
「痛くないからね」
「大丈夫だよ」
など励ましてくれました。
僕は目をつぶりました。
手術が終わりました。
目を開けました。
「よくがんばったね」
と先生は言ってくれました。
よく見ると先生は泣いていました。
このとき僕はものすごく感動しました。
生徒のために泣いてくれる先生がいるんだ、と。
先生は瀬谷先生といいました。
4年以降瀬谷先生ほどの先生には出会えませんでした。



教師も素晴らしい人はいるんです。