忙しいことはいいこと?悪いこと?

最近、パラダイムシフトしたことがあって、自分の考えが幼稚だったと気付きました。
それは忙しさについてです。

昨日みのもんたと古館が対談してました。


ちょっとだけみたんですけど、プロのすごさを感じました。

忙しさについて語っているところでした。

「フリーになって10年、仕事がなくてつらかった。」
「あの時のことを初心とすると忙しくても苦にならない。」

やはりプロです。
「睡眠時間3時間でも苦にならない。」
そうです。

最近忙しさについて目にすることが多いんですがこれもです。
http://kimuratakeshi.cocolog-nifty.com/blog/2006/07/post_5d75.html
さらに、藤田晋も、
「暇なことがつらかった。」

と同じようなことを言っています。


中谷彰宏の本の一節に
「………人生はヒマな時には楽しめないということです。
のんびりやっている時には楽しめないのです。
いつも忙しいと思いながら、忙しい時ほど充実した時間を過ごしています。
その最中は、そんなことが気付かないかもしれません。
………
でも後から振り返ると、そうやって忙しくしている時が一番楽しいのです。
学生も、学生時代はそれなりに忙しくて、就職活動がなかなかできないとみんな言います。
でも、就職すると、もっと忙しくなります。とくに新入社員のころは、忙しさの質が違います。自分でスケジュールを自由に決められない忙しさです。
まわりにいるのは全て上司だから、上司の雑用を全部引き受けなければいけない。
時間の段取りを自分で決められない。ちょっとがんばっても忙しさは変わらない。
一生忙しいだろうけども、忙しい人生がいいのか、ヒマな人生がいいのか、あなたはこの2通りの選択をする分かれ道に立っているのです。
ヒマな人生を歩もうと思えば、いくらでもヒマな人生を歩めます。
ゆっくりともたもたやればいいのです。
もたもたやっている人間には誰も仕事は頼みません。
だから、ヒマな人はますますヒマになっていきます。
会社にいる人間で、忙しい人間とヒマな人間はくっきり分かれます。
ところが、ヒマな人間も自分なりに忙しいと思っているのです。
すべての人が、自分はヒマだとは思っていません。
でも客観的に見たら明らかにヒマな人もいます。
ヒマな人ほど忙しいような気持ちを持ちたいという気持ちがある。
『忙しい、忙しい』と言っているのです。
忙しい人間とヒマな人間は本当はいません。
自覚症状として、みんな忙しいと思っているだけです。
『忙しい』という自覚症状で2通りの人間に分かれます。
一つは、忙しくて悲惨だなと思う人です。
もう一つは、忙しくて楽しいと思う人です。
楽しいと思っている人は、『えーい、忙しい』と言いながらニコニコしています。
忙しさをエンジョイできる、スピードをエンジョイできる。
『悲惨』と言いながらニコニコ笑っている。
旅行だったら、『いろいろなことをやってみよう。今日一日でいろんなことが出来そうだなあ』と思えます。振り返ってみるとあっという間で昨日のことのように思えるけれども、『あれ、まだ今日か』と思える。
たくさんのことをやる時は、人間は時間感覚が麻痺します。
今朝のことが3日ぐらい前のような気がするのです。
それだけ充実した時間をすごしているということです。
ところが、忙しいことを悲惨だと感じる人はなかなか時間がたちません。
学校の授業と一緒です。
『まだ終わらないのかな』と時計を見ると、時計がとまっているような気がします。
秒針をじっと見たら初めて動き出すような気がする。
学校の授業が退屈な人はそう思います。
ところが好きなことに熱中している時は、『あ、もうこんな時間』となります。
でも思い出してみると、デートの時にこんな話もした、あんな話もした、すごい長い時間を過ごしたような気がします。
つまり忙しさをエンジョイする、スピードをエンジョイする。
売れない芸人さんで、早く忙しくなりたい、過労で倒れてみたいと思っている人はたくさんいます。
『おまえ、これやっておけ』と言われる。
雑用を任されることがいかにうれしいことか。
仕事のない人間にとって、こんな幸せな状況はありません。
『これ、やっておいて』と頼まれることが、自分が社会の中に存在する意義があるということです。
『君には頼まない』と言われたら、もうその人が目の前にいう意味がないということです。」


僕は「悲惨だな」の方でした。

早くヒマになりたい、と思っていました。

でも、そんなのは幼稚な考え。
忙しいことは素晴らしいことだ、ということに気がつきました。
気がついてよかった。

忙しさを楽しもう!!