勉強
昨日は12時間でした。
不正競争防止法2時間、特許法5時間、著作権法3時間、民法2時間です。
スポーツが好きでした。
好きでしたが上手くなかった。
下手の横好きという感じでした。
とにかくやってみる、という感じでした。
小学校の時はサッカーでした。
入学当初、Jリーグが発足したばかりでサッカーブームでした。
クラスの皆、いや、学年のみんながサッカー選手に憧れていました。
いわゆる運動音痴といわれる子もサッカーが好きでした。
僕も好きでした。
好きなチームというのもありました。
当時、カズ選手率いるヴェルディ川崎が一番勢いがありました。
野球はアンチ巨人、当然サッカーもアンチヴェルディだったので、他のチームで面白いところは無いか探しました。
それがジェフ市原でした。
リトバルスキー選手やオッツェ選手の華麗なテクニックに惹かれたのです。
みんな同じ夢を持っていました。
サッカー選手になる、でした。
しかし、サッカーブームも過ぎるとスラムダンクが流行ってきたのでした。
小学校高学年になると、休み時間は主流だったドッヂボールがバスケットに代わりました。
皆スラムダンクに憧れていました。
当然、中学校の時はバスケットでした。
サッカー部は校庭が狭いという理由で存在していませんでした。
当然、バスケ部です。
入部してくるのはスラムダンクに憧れる者ばかりです。
1ヶ月、2ヶ月とだんだん辞めていきます。
僕は夏休み直前に入ったので、2ヶ月後ということになります。
噂は聞いていたのですが、最初はいっぱいいた部員も既にかなり減っていました。
1年生は雑用ばかりで耐えられない人が多かった。
特に最初の2ヶ月はドリブルの基礎ということで隅っこでダムダムやっていたそうです。
僕は2ヵ月後でしたので、基礎が終わってから入部しました。
いきなりシュートを打たせてもらえるというので張り切っていました。
なんで2ヵ月後に入ったのか、というと基礎がいやでした。
僕もスラムダンクに憧れていましたので、シュートを打ちたかった。
2ヶ月経ち、部員減に悩んだ同期に誘われたのです。
今ならシュートを打てるよ、と。
しかし、シュートが打てるのですが、ドリブルが下手でした。
基礎をやっていなかったので当然です。
夏休みの練習がきつかった。
熱い蒸し風呂みたいな体育館での練習はかなりきつい。
地球上で一番走るスポーツがバスケットといわれています。
練習開始直後のダッシュが特にきついんです。
あまりのきつさに吐く部員もいるくらいでした。
そして夏休みを終える頃には部員は大幅に減ってました。
1年経つと最初20人近くいたといわれる部員が6人になっていました。
3年になると5人に減っていました。
それがレギュラーでした。
ドリブルが下手な僕も入ってました。
そして高校になりました。
当然、バスケ部の仮入部に行きました。
行った瞬間、先輩がこう言っていました。
「身長175センチ以上じゃないといらないから」
仮入部届けにクラス名と名前を書いて以降、バスケ部には足を運ぶことはありませんでした。
他にないかなと、姉が同じ高校だったので、いい部活はないかと聞いていたのを思い出しました。
ラグビー部が一番活気がある、と聞きました。
仮入部してみようか、同じ中学の友達と眺めていました。
そしたらマネージャーの人が声をかけてくれて、グラウンドのベンチで見るということになりました。
ベンチで見ていると、三年生のバックスの先輩が声をかけてくれた。
「見ているだけじゃつまんねぇだろ?ボール触ってみっか?」
バスケ部と逆で、いい先輩でした。
なんでもラグビーは15人でやるものなのに、部員が少ない、即レギュラーだと。
先輩もいい人そうなのが多かったので即決めました。
同期も面白いのがいっぱいいました。
クラスからあぶれた奴らばっかりでした。
僕もその1人でした。
まともじゃないのがラグビー部でした。
スクラムは力と体重とテクニックが重要です。
テクニックは練習で身につくものとして、やはり体重と力が必要でした。
だから友達と筋トレに励みました。
夏休み中ずっと学校に来て、トレーニングルームにこもっていました。
そしたら、もともと肉がつきやすい体質なので筋肉が見る見るついてきました。
あまりとりえがなかったので、立派なスクラム要員になれて嬉しかった。
おかげで3年間レギュラーを取れました。
思えばずっとスポーツをやっていました。
あわせて12年間でした。
今ではこういう制度もあるようですね。