先日は、オプトの鉢峰登社長が来た。

CVO(チーフビジョナリーオフィサー)という肩書きも持っていた。

0から1を作るのを担当、という意味だ。

オプトはネットの電通で、実はサイバーエージェントを抑えている。

e-マーケティングは2010年で広告市場は10兆円に至る。

社長は目が充血していた。





大学は早稲田の商学部だった。

毎日麻雀をやっていた。

企画サークルに入り、近くの跡見学園などに行き、合コンをやる企画などをやっていた。

オプトはADPLANという画期的な事業を開発した。

これは広告をクリックした人が、実際にどんな行動を起こしたかがわかるものだ。

例えば、これまでは広告をクリックした時点で課金されたものが、広告先で実際に商品を買ったのかどうか、資料を請求しただけか、または何もしなかったのか、がわかるのだ。

事業内容としては、
広告代理…インターネットとモバイル。
テクノロジー…アマゾンの関連表示みたいな奴。
ソリューション…HP作成やSEOなど。
コンテンツ…ヤフーなどと提携してコンテンツを提供。「ヤフーセカンドライフ」など。
現在、注目している分野は、
1、モバイル
2、動画
3、CGM
4、その他



1、モバイル…パケット定額制→勝ってサイトへ。モバイルSEM市場の拡大。
2、動画…ギャオ、ユーチューブ…ネットとテレビの結合。企業が動画を作っていく時代。
3、CGM…ミクシー、ユーチューブ
4、その他…セカンドライフ

今後の方向性…電博、ADKが寡占化。広告代理店は大手に集まる。例えば、自民は電通、民主は博報堂

広告代理店は一番になることが重要。

クライアントの寡占化…上位200社が全体の4割。
大手クライアントの開拓。
創業までに至る経緯。
父は地方公務員。
千葉出身…地元愛はない→日本が基準。
一浪して早稲商→森ビルへ。

昔から会社をやりたかった。

戦国武将列伝が好きだった→日本を変えたい。

大学は4年間遊ぶものだと思っていた。

将来何をやりたいのかを見つけるのを思い悩んでいた。

会計の勉強をした。雀荘に入り浸った。企画サークルに入った。信長の野望にはまった。ビリヤードをよくやった。

こんな生活してていいのかな、と思うような生活を送っていた

一生の間でこんな自堕落な生活でいいのか?

森ビル就職後、遊んだ分働いた。

「興味があるものが何かを変える」

「3年で辞める」

がむしゃらに働いた。

2年間、楽しく働いた。

残りの一年目に、起業の本を読んだ→会社を起こすことは=会社を潰すことなのか?と思った。

そんな中、エジプト旅行に行った…ナイル川の船に乗っているのは金持ち。
しかし、川では洗濯をしている現地の人。
彼らはビニール袋を投げてくる。
中にはTシャツやテーブルクロスが。
買う場合はそのビニール袋に金を入れて返す。

「俺は25歳で、なんでエジプトに来れたのか…」

「自分の力ではなく、日本の繁栄のおかげた!」

「父・母のおかげだ!」


当時、バブルの絶頂…就職=ゴールだった…これでいいのか?

彼らが作ってくれた土壌があるから僕らはこんな生活が出来る

僕らがチャレンジすべきなんだ

日本で乞食になるわけがない

失敗しても、土方でもなんでもやればいいじゃないか。

とにかく起業しよう!

チャレンジすることに意義がある。

目星をつけた奴らと勉強会を開いた。

立ち消えそうにならないように皆から3000円を出し合った。

条件は初期投資がかからないビジネスだった。

アメリカでダイレクトマーケティングが急激に伸びていた。

日本でもやろう!

既存企業(TV、ラジオ)がやっていないファックスを!
なぜなら、オフィスには100%ファックスがあるため。

ホットペッパーのファックス版…企業のセミナー情報など。
ベッドタウンに各々配るより、一極集中する千代田区など主要五区に。
しかし、98年、ファックスの限界→インターネット。
99年、アメリカのネットバブル…日本にも来る!
ベンチャーキャピタルから借り入れ→ネットバブルに備えた。

金がかかり赤字→赤字になると誰も貸してくれない。
00年、ネットバブル崩壊…売上高3億円。
01年…売上高13億円。

徐々に増えてきた。

一つの事業にフォーカスした(ネット事業)。
弱者の戦略…一点突破=ADPLAN
CVO…チーム経営にした…1人でできるには限界がある。
0から1にするのが好き、1から50にするのは好きじゃない。

その頃から、業績が急激に伸びてきた。

CVO…社風が一番大事。
ネット広告はあるが、10年伸び続けるかわからない。
故に、社風にこだわる。

経営を各々得意な分野に任せる。







という講演だった。