限りない喜びは遥か遠く

学校の課題が、以前のホッファに続き、映画を観た感想だった。

『エレファントマン』を見て

 エレファントマンは映画を観た後にウィキペディアで調べたが、実際に存在することがわかり衝撃を受けた。映画を最初に観たが、始まってからジョン・メリックがベールを脱ぐシーンが1時間後くらいになり、最初はどんな顔をしているのだろうと期待していたが、彼の顔が映し出されると、あまりに現実味を帯びていないために、ショックを受けるような感覚は生じなかった。エイリアンと形容してもいいほどの顔だったため、ただの文学作品の映画化に過ぎないと思ったからだった。
 しかし、映画を観た後、ウィキペディアで作品を調べたら実際にあったことだとわかり、さらには写真まで添付されていた。その写真を見ると映画のジョン・メリックにそっくりでその時に初めて大きなショックを受けた。
 アンソニー・ホプキンス演じるフレデリック・トリーヴスは最初はやはり自分の研究対象として学界発表のために連れてきたためだったのが、自分の家に招待し、妻に紹介するなど最終的にはジョンに親切になるのや、婦長やケンドール婦人のジョンへの扱いを見て、人間の心の温かさを感じた。
 しかし、ジョンに虐待を行うバイツや、病院の警備員が金を取りジョンを見世物するなど人間の負の部分もたっぷりと見せ付けられた。この部分を見たときには非常に心が痛んだ。自分の病室に赤の他人が大勢で勝手に侵入し、無理やりキスされたり酒を飲まされたり何人もの人に体を取り押さえられて自由を奪われ、回転させられたり、部屋の物を壊されたり、挙句の果てに見たくなかった自分の顔も鏡で見せられたりしたり、とこういうのは人間のやることなのか、と非常に怒りを覚えた。
 また、親にこのことを言うと、昔、30年ほどの前の日本でも、こういった奇形の人を扱った見世物小屋があったりしたということを聞き、驚いた。ウィキペディアによると見世物小屋を排斥する風潮がイギリスでは19世紀には強まっていたとされていたが、日本ではどうだったのかはわからないが、奇形を扱ったりするために誘拐や人身売買も横行していたというので陰惨なものだったのだろう。
 最後に、仰向けになって死んでいく場面で終わるが、このことについてはジョンはもう、自分のやりたいことをやり尽くしたと思ったから死んだのだと思う。社会の底辺から、最終的には上流階級と付き合うことも経験し、窓から見える景色の模型も完成した。最後にやりたかったことは部屋に飾ってある絵の通りに仰向けに寝ることだけだったのではないか、これさえすればもう思い残すところはなく、死期が近いことも知っていたと思われるので仰向けに寝るという願望を成そうと思ったのだろう。            以上